2021年10月29日金曜日

世界脳卒中デーにライトアップ

毎年10月29日は、世界脳卒中機構が定めた「世界脳卒中デー」です。

今年のテーマは「Minutes can save lives 迅速な受診が人生救う」です。
日本脳卒中協会では、脳卒中の症状を知っておき、脳卒中だと思った時はすぐに救急車を呼ぶことが、後遺症を軽くして人生を救うことに繋がるということを普及啓発しています。

今年は世界脳卒中デーキャンペーンの一環として、全国各地のモニュメント・建造物において、世界脳卒中機構のシンボルカラー(indigo blue)によるライトアップが実施されます。

各地のライトアップ

大阪府:太陽の塔

青森県:青森県観光物産館アスパム

栃木県:獨協医科大学

山口県:海峡夢タワー

香川県:高松シンボルタワー

熊本県:熊本大学病院 時計塔・プロムナード

静岡県:韮山反射炉

などです。個人的には住んだことのある青森で、アスパムしか見たことありません。青に染まったアスパムもとても綺麗です。その他の青もそれぞれ微妙に色が異なり幻想的です。疾病予防啓発のシンボルカラーは、糖尿病、大腸癌が青です。ライトブルーが前立腺癌。脳卒中がなぜ青(インディゴブルー)なのか、今の所分かりません。分かったらお知らせします。
茨城でライトアップするとしたら......県庁であったら壮観でしょうね。全国平均に比して脳卒中死亡率は茨城では高いことを考えますと、やはり啓発にどこかを真っ青にライトアップしたいところですね。

関連URL 日本脳卒中協会

青森県観光物産館アスパム

韮山反射炉

太陽の塔

時計塔・プロムナード

海峡夢タワー

院長

2021年10月28日木曜日

新型コロナワクチン接種 奮闘記 (事務のつぶやき) ~収束の願いを込めて~

 ワクチン廃棄ゼロをめざした事務方より





















「苦心の末に完遂」

令和3年5月10日、医療従事者に始まり、高齢者、接種対象者と順次接種をおこない、最終日10月23日をもちましてひとまず終了。ワクチン破棄なく完遂。3回目接種の情報待ちです。


「問い合わせに苦悩」

より多くの方により早く接種いただけるよう懸命に取り組んでおりましたが、先行の予約を取れない高齢者とのやり取りに追い込まれ、ご意見、苦言に心折れたこともありました。双方で大混乱。


「電話の嵐」

接種に関するお問い合わせ、予約と、電話が殺到し業務に支障をきたす状況となり、職員も疲弊する日々が続きました。私事ですが、就寝後、電話対応をしている夢を何度も見つつ、夜中に目が覚めあれこれ思い悩むこともありました。不眠...


「キャンセルの埋め合わせにヒヤヒヤ」 タイムリミット6時間!

体調不良、仕事多忙等、様々な理由でキャンセルが発生します。とくに若年者でしばしば発生しました。キャンセルの電話を受けるたび「oh my God!」 穴埋めに翻弄。最後の日まで気が抜けない状況にヒヤヒヤでしたが、国からの使命のごとく、ワクチン廃棄ゼロにこだわり、なんとか乗り切ることができました。
※このワクチンは1バイアル6人分の注射液準備後、6時間以内に接種する必要があります。時間を過ぎると廃棄となります。キャンセル1人分を次の日以降に回す等ができません。


「非常事態ゼロ」

事前に接種後の状態悪化時のシミュレーションや準備も行っておりましたが、幸い、ワクチンに関する事故や急性のアレルギー反応、血圧低下などの重大な合併症はゼロでした。


「重圧に負けず」

職員にとって、通常診療とコロナワクチン接種の両立はかなりの重圧であったと思います。不安を感じつつ、感染防止に努めながらの取り組みでした。皆さんありがとう。


「同志に感謝と敬意」

行政、医師会、医療機関、立場は違えども、同じ志のなか連携なくして成し得ない事業であると思います。ご主導、ご支援いただきました、ひたちなか市新型コロナウイルスワクチン接種対策担当の方々、ひたちなか市医師会の方々に御礼申し上げます。


「一致団結~これからも続きます」

10月23日、無事終えたことに安堵。達成感より脱力気味。そんなこと言っている場合ではありません。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)との戦いはまだ続きます。心晴れる日を願いつつ、一致団結!ガンバリマス。


コロナに負けるな!#支えあおう#LOVEひたちなか


聖麗メモリアルひたちなか

事務長 仲島





福島孝徳先生追悼

以前、本院(聖麗メモリアル病院)の手術顧問としてお世話になっていた米国デューク大学脳神経外科教授 福島孝徳先生が今年3月にご逝去されました。「神の手」としてテレビ出演したこともあるので、ご存じの方もおられるかも知れません。 聖麗メモリアル病院でも、昭和 58 年 (1983 年 ...