以前、本院(聖麗メモリアル病院)の手術顧問としてお世話になっていた米国デューク大学脳神経外科教授 福島孝徳先生が今年3月にご逝去されました。「神の手」としてテレビ出演したこともあるので、ご存じの方もおられるかも知れません。
聖麗メモリアル病院でも、昭和58年(1983年)から25年に渡り、多くの難治患者を治療していただきました。本院および患者さんへの貢献は計り知れません。心より感謝と哀悼の意を表します。
以下の文章は、聖麗メモリアル病院で以前、脳外科認定専門医が月1回、順番に書いていた「専門医letter」に投稿したものです。2013年に、私からみた「福島孝徳」先生を記しています。一部、専門的な内容も含みますが、ご興味ある方はご一読ください。一部削除をして、写真は今回、付加したものです。
===以下、引用。
福島孝徳先生
今年(2013年)の脳神経外科総会初日10月16日に、福島孝徳先生が講演するセッションが企画されていました。久しぶりにお見かけし、元気に歩いているお姿に敬服いたしました。一緒に手術をさせていただいた過去を思い出しつつ、福島節で語られるご講演を聴いていました。『エキスパートからのメッセージ:21世紀の脳神経外科医に伝えたい過去!現在!未来!』というセッションで、45年間のご自身の脳外科手術人生を振り返り、手術の達人になるには、どのようなことが必要なのか、そして、どれほど困難な手術に挑戦してきたか、そのようなことをお話されました。最後にあと50年はマイクロ顕微鏡による人手での手術は継続されるであろう。福島先生が天国に行く前に、ちゃんと手術を覚えて欲しい、という結論でした。福島手術を一時期サポートしていた医師がその当時の様子を書くことはあまりないでしょうが、これを機会に昔を思い出してみました。
当院と福島先生との関係。当院で福島先生にお世話になった手術症例は、昭和58年から平成20年までの間、計445例あります。昭和58年当院開設当初から手術に来られていたようで、初期の頃は、近隣の顔面けいれん、三叉神経痛の患者さんや急性期のくも膜下出血など当院での患者をお願いしていたようです。その他未破裂脳動脈瘤や良性腫瘍もかなりありました。毎月来院していたことが、手術記録から分かります。福島先生が平成元年にアメリカに渡ってからは、年数回来日する際にまとめて手術をするスタイルになったようです。平成2年に私が当院に来ていますので、福島先生には手術の際の体位取りなど初歩的なことから、腫瘍の取り方まで、多くのことを、教訓的なことも含めて教えていただきました。平成14年頃から東北大学病院の耳鼻科からの紹介で聴神経腫瘍の患者さんが来るようになり、遠方からも福島手術を希望して来られるようになりました。更に、平成15年には、「情熱大陸」や「夢の扉」その他多くのテレビ番組で、神の手、ブラックジャック、スーパードクター、ラストホープとして、奇跡の手術が行われているような報道がされると、近隣の患者よりも、全国から(といっても、東京近郊、関東周辺などが多かったようです)患者さんが来られました。とくに多くの施設で手術を断られるような困難なケースも含め、腫瘍を中心に集まるようになりました。このような患者さんは、アメリカの福島先生へ、手紙や電子メールでコンタクトをとり、直接相談されていた場合も多いようでした。
患者さんへの手術の説明日程や、手術日の選定などは、その対応のほとんどを、私と事務・外来看護師で担当していました。手術当日には、福島外来受診患者ばかりではなく、多くの見学者も来院しますので(写真)、その対応にも気を使う必要があり、手術が近づくと妙に緊張したのを覚えています。医師以外、獣医師も見学にみえたことがあります。手術前にはその進行予定を記入したタイムテーブルを作成しました。それに患者のkey filmを貼り付けたものを作成し、福島先生の助手を勤める先生を割り当てて、とにかく手術がスムーズに行くように配慮しながら日程を調整していました。毎回、予定時間通りいくことはほぼありません。遅くなることがほとんどで、夜中になることもしばしばでした。長時間の手術を複数件こなす福島先生の気力は、若かった私達もかなわないほどの激しいものでした。1日に2,3件の腫瘍症例が入ることも希ではなく、その忙しさは当院では「お祭り」と呼んでいたことでもうかがい知れます(写真)。
顕微鏡で手術中の福島先生 |
多くの手術見学者 |
怒るときはこれまた厳しい所があります。当院医師やスタッフにミスがあると、手術の最初から最後まで、ずっと怒っていますが、手は確実に病巣をとられ、着実に摘出が進んでいく。その辺は天性の器用さがあります。副院長であった私を怒る先生はなかなかいませんが、福島先生にはよく怒られました。当院赴任初めの頃は、開頭のお手伝いをしていましたが、福島先生の思い通りの開頭になることはなく、いつも細かい修正をされながら、見よう見まねでエキスパートの手技を覚えていきました。他医師の不手際を私が厳しく怒られることもあり閉口しました。例えば、再発聴神経腫瘍で開頭に割り当てられた先生が、開頭位置が不適切なために、勝手に小脳のuncapping(小脳外側切除)をしようとしていたところが見つかり、何を指導しているのか、とその日ずっと叱責を受けました。しかしながら、その先生は、あまり当院の方法に従わず、独自の方法で手術をされる方であり、いかんともしがたい部分もありました。指導力の不足と言えばそれまでですが。。。とにかく初めの頃はよく怒られました。
そんな折、NHKのクローズアップ現代から前取材というか、話を聞かせてください、というような依頼がありました。そのとき、お話しした内容を記載しておきます。残念ながら、福島先生の番組は放送されませんでした。福島教授の診療姿勢としてお話いたしました。
1)どんな患者でも見ます。
例え、悪性で、余命幾ばくもなく、手術の適応にならない患者、神経変性疾患のため手術では治らない患者も、自分を求めてくる患者は、全て診察をします。病状について正確に説明した上で、元気づけてあげる。そして希望を与える言葉をかけてあげる。
2)手術、後遺症のことも考える手術。
危険な所を、経験的に知っています。難しい手術をすれば、術後かなりの病状悪化を来すことがありますが、しかし、日常生活を出来るくらいまで、回復出来るところまでのぎりぎりのところで、手術の判断(メスを入れるか入れないか)をしています。
3)誰がやっても出る後遺症を、受け入れて治療に踏み切る。
手術は、もちろん、難しいものばかりで、誰が手を下しても、ある程度の後遺症が予想されます。しかし、手術しなければ、かならず悪くなる患者がいるのも事実です。後遺症が出れば、恨まれるのは、分かっていますから、誰も手を出しません。それを受け入れて手術治療を選択する勇気があります。
4)常に明るく、前向き。
楽観的すぎる所もありますが、この姿勢は、まわりを巻き込んで、困難な治療に立ち向かう雰囲気を作っていきます。
5)とても教育熱心です。
助手に入った私達に対しても、また見学者がいる場合にも、懇切丁寧に解剖や手術方法について説明をしながら、手術を行ってくれます。
以上が、クローズアップ現代の下調べでお話した主な内容でした。その頃は、福島先生は当院にとっては病院全体に活力を与える存在であり、先生と一緒に患者さんを治していくことに、当院スタッフ皆さん、誇りを持っており、来日を楽しみにしていました。
楽しいことばかりではありません。福島手術について、術後クレームとなる患者さんも時に発生します。神の手による手術では、全く合併症なく治癒すると安直に考えている場合におきます。大きな腫瘍や深部病変を持ったもの、あるいは再発再手術例では、ある程度の後遺症を覚悟しなければなりません。腫瘍全摘で多少の後遺症があっても再発の心配なし、と、症状は全く術前と変わりないが、再発の心配を常にかかえながら今後の人生を過ごすのと、はたしてどちらがいいのか、クリティカルな病巣の場合はこのような状況が起こり得ます。
ドクターショッピングをしたあげく、最終的にたどりついた術者に対しては、術前予想とは異なり、たとえ100%満足のいかない結果であったとしても、それを受け入れるのが、術者に対する礼儀であろうと思っています。当院スタッフによる神の術後管理や病状説明、あるいは神の看護を要求される患者ご家族もあり、地域医療の近隣患者診療とは少し違った対応が必要となりました。うまくいかないとクレームの矛先は当方へ向くこともあり、苦い思いを何回かさせられました。お願いする側の覚悟も必要であるべきなのです。
平成8年にアメリカの脳外科総会に合わせて、福島先生が教授をされているペンシルバニア医科大学・アリゲーニー総合病院へ手術見学に行ってきました(写真)。その際も、他国から見学に来ている先生たちと一緒に、解剖学実習と手術見学を合わせてお世話になりました。なぜかご家族のお食事や娘さんのスケートの見学、さらには業者さん相手のゴルフ接待にまで付き合わされましたが、とても面倒見が良いフレンドリーな先生なのだなと思いました。
手術実習後の会食 |
脳神経外科医は手術で患者を治す、そのエキスパートになりなさい、今回の講演での先生のメッセージは、極めてシンプルなものでした。はじめに引用したように、マスコミへの高頻度出演など、良くも悪くも言われていますが、45年間全くぶれない姿勢に感服いたしました。
手術を通しての表面的なお付き合いではありましたが、私に手術方法の基礎、とくに出血をさせない手術をたたき込んでくれたことにとても感謝しております。
===以上、引用。
あるとき、脳外科の学会に参加していて、宿泊ホテルの朝食ビュッフェでばったりお会いしたとき、「やあ、おかべ先生、ゲンキ!!」と福島先生のほうから声をかけていただいたことを、昨日のことのように思い出します。
天国でも手術をされているのでしょうか。下界では救いきれなかった患者さんを手術しているかも知れません。
一時期「神の手」の助手として一緒にお仕事できたことを誇りに思っております。
福島先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
院長 2024.9.23